本草学と食医

食医という御殿医が、
本草学を研究して、殿様の健康と生活の向上を守ってきました。本草学とは、自然を調べ、役立てる。自然界に存在するあらゆるもの全てを研究する学問です。本草学者は、未知への探求心、物の価値を見出す力、多くの人に自然界の力を伝える役目でした。

本草とは「薬の本となる草」のことで、薬です。
この学問が日本に入ったのは、平安時代、唐僧鑑真によって伝えられました。
江戸時代には、代々の徳川将軍の力添えもあり、研究発展をし、自然界への観察力が医学の力でもありました。
特に徳川吉宗より奨励され、民衆の協力も得ながら、目覚ましい研究成果を残しています。身分の垣根をなくして人々の命を救い、生活を支えてきました。貝原益軒、青木昆陽、平賀源内などがすぐれた本草学者として知られています。

このような内容で、本草学が全ての学問や仕事、文化、芸術の根幹なのです。
本草学を中心に、神との繋がりを深く繋ぎ、深めたのが食医であり、現代に通じる医の役目です。
食べることが医につながるという事を、本草学を通じて伝え広めてきました。

武士の食卓 食医 緋宮栞那

学校給食をオーガニック給食へ

〜食医からのメッセージ〜

現代の子どもは、おそらく、土を触ったことがない、都会の子どもは、畑も見たことがないかもしれません。
食べ物がどうやってできているか知らない。料理を作るお母さんの姿すら、あまり見たことがない。家族揃って夕食を食べることもない。
そんな子どもは、迷いもなく平気でご飯を残してしまいます。だから、感謝や思いやりの心が育ちません。愛を知らないで大人になります。

これが現状だとすると、大人になって、自分達の心と体を作る食を選ぶ力を培い、判断することができるのでしょうか。どうやって食事ができているのかわからないから、良き食を選ぶ力は育ちませんね。選択する知恵がないのです。知らないから。残念なことです。

解決策の一つとして、

学校で食べる給食が、地域の農業とつながることで、学校給食がどうやって作られているのかを子ども達に見せることができます。
実際に農業を体感すること、収穫のお手伝いができたら、野菜がどうやってできているのかがわかりますね。

毎日の食卓で、これは、あそこの農家さんが作ったんだね。これは、あのおじいちゃんが作ってくれたんだね。と、感じながら話しながら食べることができる。それが、食卓の話題になったら親子の繋がりも自然と笑顔と感謝になる。
こんな風に、食べることで思いやりが育つ「食育」になればいいですね。そこが一番大切な事です。

地域の農家さんも、その子ども達の顔を直接見て話して、この子たちの健康と幸せのために作ろう!未来のために作ろう!と思い、嬉しくなるはずです。
皆んなが家族のように、思いやりが溢れる地域であり、農業であれば、この国はとても幸せな国になると思います。

私の子どもの頃は、野菜を育ててくれた農家の皆さんとご近所だったから、安心して食べることができました。それができなくても、子どもと農家さんが身近になる方法は考えたらいくらでもあると思います。
きっと、私たち大人が便利さを求めてしまい、商売に走りすぎて、心の豊かさを優先してこなかった結果が今の現状でしょう。

まだ、間に合うなら、
食医と共に、もう一度、農業と地域。大人と子どもの関係を深めるために、行動に移し世の中が良くなるために一緒に仲間になりませんか。学びませんか。 全てのお母さんが「食医」なのです。

母の無償の愛です。
武士の食卓 食医 緋宮栞那

武士の食卓とは

「武士の食卓」とは、
食医であり饗応料理研究家である緋宮栞那が、
日本古来の食養学、本草学、薬食学を研究し、「世界に誇れる日本の健康食」をまとめました。

その料理の総称を「武士の食卓」といいます。

「時代考証再現食」「浄化和食」として料理を作り、日本の歴史と文化、命の大切さを料理に託して伝承することを目的としています。
食医とは、大名に支えていた御殿医です。

それは、神官の役目。天と繋がり交信しながら、陰陽師として、食を管理していました。

それは、残念ながら、GHQの日本精神の消滅をめざす政策により、今ではこの国から消えようとしている重要な神意、惟神の道です。

各藩の大名の子孫や大名のお抱え料亭、お抱え料理人の末裔の方々にご教示・ご指導をいただきながら、幅広く学びました。
また、全国各地の伝統食を口伝や古文書などを基に研究し、形にしました。

武士の食卓は、「江戸時代に完成された日本の食文化」で、作法やしきたり、精神性、成り立ちがとても重要。

武士は「質素・倹約」が通常で、自分を厳しく律していました。しかし、祝いの場では最高の贅と心を尽くし、健康を願い、自然を敬い、相手を尊び、子孫繁栄の願いを込めて
「おもてなし=饗応」をします。

だからこそ、長寿の食べ合わせや、心身の健康、永遠の美しさや若さ、そして、心身の強さを保つことができる食事が求められました。そんなエネルギーの高い栄養学と精神が盛り込まれた“究極の食文化”が、
「武士の食卓」なのです。

私たちの一番の願いは、「日本文化伝承」。
そして、日本を海外に伝える国際人の育成です。
和食伝承士とは「日本文化伝承」と同意語です。
本講座、食医講座を通じて多くの方に「武士の食卓」を継承していただき、先人たちが培ってきた世界に誇れる健康食を
子々孫々と伝承していけることを願っております。

武士の食卓・食医
饗応料理研究家・緋宮栞那(ひみやかんな)

【武士の食卓: 浄化和食とは】

時の権力者、大名や殿様には、「食医」という専門の医師が、殿様の心身の健康を保つために側に「お付き」でいました。 食医とは、神官や巫女のような役目です。神々と交信し、祈り、浄化をするのが役目です。 人間の陰の心の「改心」をさせて、神と交信できるように霊性を高めていました。 世の安寧を祈り、先祖や霊界、霊人たちの御霊の浄化をし、国の安定を保ってきました。時には天界と交信しお聞き入れをして「政」にもかかわってきました。 殿様の食事は、すべて縁起を担ぎ祈りの意味を込めた料理です。

食材については、薬草園や薬草山を持ち、そこは最高の地場、波動の地でした。自然農法で季節の薬草や野菜を作っていました。 その地は、鉱石や水脈、山や川の風土を考慮して風水的に作られた魔が入らぬよう結界が張られた場所でもあります。霊界の言い方では「龍の山・野・土・川・風・水」などとも呼ばれて、その地は龍の身体・龍の住処とも伝えられています。

食医の役目は、その土地の浄化です。祈りによりその土地を浄化して魔を取り除きます。 そのような特別な土地、薬草園・畑で作られた薬草や野菜で料理を作ります。 食医は、饗応役・料理人でもあるために食材の管理や調理指導を執り行っていました。

料理の作り方・調理法・環境・設え・器・色や形、質感にも意味があり、バランスをとってきました。 お膳の上は、宇宙 そのものであり、融和と調和が保たれ森羅万象のムスヒ(産霊)そのものの料理だったのです。神にささげるための料理でもありました。 すべては縁起担ぎであり、祈りであり、平和への願いが込められていました。

料理と器の組み合わせやバランス。野菜同士の相性や調和。 どのタイミングで何を食べるかまで、宇宙の真理により考慮されていました。味付けにおいては、小宇宙の身体を持つ、人間の肉体とのバランスをとるために、とても重要視されていました。 「五味・五法・五色」の融和です。だから食べる順番があるのです。

一人一人の個人において、食べるものや食べる順番には違いがあります。
「和漢」という知恵もあります。それぞれの体質や年齢、生まれ育った環境や地域にまで関係し、すべてを考慮することにより初めて「浄化和食」となるのです。
「身土不二・一物全体」という食養生なのです。

現在の商業ベースに乗った「和食」ではなく、日本人の本来の和食は「浄化和食」であり、食べることで日本人は魂の浄化をしていたことになります。 本当の意味での、世界無形文化遺産になった和食の意味は「浄化和食」です。
私は、ここを大事にしたい。

饗応料理とは

加賀前田藩の食卓へようこそ。

「おじいちゃんのおじいちゃんたちは、ずっと代々、お籠にのっていらっしゃったのよ」 祖母が幼い私に話していたのを記憶しています。 お籠? ということはお殿様?

そうです。私のご先祖様の中に、加賀藩前田家の支藩である富山藩前田家に仕える家臣がいたのです。先祖は、前田藩の大切な「台所」を預かるお役目をおおせつかっていたということです。どれほどの身分なのかは定かではないのですが、おそらく、今わたしがこのような「食養」を中心に料理家として活動していることは、先祖の思いを受け継いでいることなのかもしれません。

お殿様の食事を管理するということは、すなわち家の健康をすべて管理するという重要な役目。仮にお殿様が食中毒でお亡くなりになったとあらば、お家断絶にすらつながりかねません。これは大変! さらには、お殿様が他家のお殿様をお迎えすることもよくあります。その場で恥をかかせるような料理は出せません。ともに安心して召し上がっていただき、さらには場を和ませ、両家の発展に結びつくような料理を出さなくてはいけないのです。

特に後者、「接待」の場を彩る料理を饗応料理といいます。饗応、すなわちもてなし。現代風にいえば、サービスといえるかもしれません。もてなしは気遣いの結晶です。食べることで仲良くなる、気分がよくなる、美しくなる、健康になる……。
実はそのことが、今から400年以上もの昔に確立されていたことをご存知の方は少ないでしょう。

私は、加賀前田藩の饗応料理研究家として活動し、日本食文化研究家・管理栄養士としての顔も持っています。先人の知恵を現代に活かす。そしてそれをさらに発展させていく。そんな温故知新の志のもと、皆様に「もてなしでしあわせを作る」ことのおもしろさと大切さをお伝えしたいと思います。

さて、加賀前田家といえば、ドラマや小説などでもよく知られる「前田利家」や、「前田慶次郎」などで有名な、あの前田家です。前田藩は、加賀百万石といわれるとおり、徳川将軍家に次ぐ石高を持つ、外様一の大大名。
その大名の妻として支え、加賀百万石の礎を作ってきた正室たちの功績は計り知れるものではありません。
たとえば、名君とうたわれた三代藩主・前田利常の正室・珠姫(たまひめ)を例にあげてみましょう。

珠姫は、二代将軍徳川秀忠の次女として生まれ、3歳のとき加賀(金沢)へ輿入れし14歳で結婚するにいたりました。珠姫の祖父である徳川家康は、利家の正室・芳春院(まつ)を江戸で人質にする代わりに、前田家を親徳川派にするため珠姫と利常との縁組を決めました。いわゆる政略結婚です。徳川の影響力を前田に刻み込むための結婚といえなくもありません。というのも、将軍家は前田家の潜在的な力を非常に高く買っていながら、恐れを抱いてもいました。歴史を紐解けば、中央政権に影響を及ぼしかねない大大名はことあるごとに家をつぶされてきています。

実は、前田家もつまらない言いがかりをつけられて、謀反の芽とされそうになったことがしばしばありました。しかし、珠姫は、幼少のころより利常の妻となることを前提に育てられ、本人も大変利常公を慕い愛しんでいたました。したがって、前田家の存続を心から望んでいました。幸い夫婦仲はとてもよく、結婚後10年間に3男5女を立派に育てると同時に、利常の妻として将軍秀忠の娘として前田・徳川両家の融和のために心を尽くしたのです。
そして数多くの危機の際、和解・説得のためにひと役買ったのが饗応料理でした。

武家の「饗応膳」が、家々の家庭料理と決定的に違うところは、「家と家との接待に使われるおもてなし料理」であることです。
前田家は外様一の大大名。おのずとほかの外様大名たちから狙われたり、将軍家である徳川家から目をつけられやすい立場です。先の珠姫だけでなく、家を守るため、家来たちを守るために命がけで外交をし、接待をすることが家にとっても重大な意味をもっていたのです。

現代の接待でも言えるかもしれませんが、その接待の食がどのように振舞われたか、最高のおもてなしができたか、満足いただけたかということに、社運ならぬ家運がかかってくるわけですから真剣にならざるを得ません。
饗応役の家臣は、饗応の礼式にさぞ気を使ったことと思います。ですので、饗応役は殿様が一番信頼の高い家臣に任命していたのです。

ひとつ間違えれば、前田藩の命運が絶たれる。饗応の場の膳所(調理場)は、相当に緊張感に張り詰めた空気が流れていたことでしょう。その緊張感の中から、金澤独特の料理が生まれました。

金澤で祝いの膳にかかせないのが、「鯛の唐蒸し」「かぶら鮨」そして、「治部煮」です。これらは、金澤の食文化の王者といわれるもので、当時は格付けの高い武士しか食べることが許されませんでした。
幸いなことに金澤には、饗応における3つの有利点がありました。ひとつめは能や狂言、加賀万歳、獅子舞などの伝統芸能があること。ふたつめは貢物として献上もできうる華麗な伝統工芸品があったこと。そして海・山・野に囲まれていたので新鮮で最良の食材が豊富だったことです。これらをもとに加賀藩お抱えの流派「四条薗部流」が秘技をふるったのです。 このような饗応の場を知るにつれ、饗応膳にかける命がけの思いや、料理に込めた知恵や工夫・縁起かつぎなどの「創造性」が、金澤の食文化として今も伝承されているのです。

その一品一品の料理に込める思いは、今の時代も同じこと。不老長寿・子孫繁栄・無病息災・お家安泰などの健康・幸福への願いが込められています。それは今で言うならば、生活習慣病予防食・アンチエイジング食・認知症予防食・そしてダイエット食でしょう。昔の昔から、先祖たちが家庭の味として伝えてきている饗応料理にも、「前田家」の家庭料理・郷土料理としての色合いだけでなく、先人の知恵が多く含まれています。

 私は饗応料理研究家として、毎月、加賀前田藩年間行事のおもてなし会食会をしています。その中で、いつもこれで良いのかと考えていました。そのとき、夢枕に三代藩主の前田利常公が現れ、次のことを伝えていってほしいと言われたのです。そのそぶりは激しく、とても驚かされました。

「これ!これ!これを伝えよ!これが饗応のもてなしの基本でござる。これが肝心でござる。」 黒塗りの高御膳の前にお座りになり、裃(かみしも)を纏った利常公が、右手に輪島塗の箸を持ち、その手を上下に激しく振って私に強く伝えられました。懸命に箸を振っておられましたので、袂のすそが激しく揺れていたのが印象的でした。

 そうなのです。利常公が私に伝えたかったことは、饗応の基本でした。 それは、「塗り箸一膳」。一膳に一箸ということです。料理が変わるたび、箸も新しく変えるという作法のことです。それだけ、料理が変わるたび、箸を変えておもてなしをしなければいけないくらい、料理も人も大切にしてほしいという「心」でした。

 同じ箸では、その一品一品の料理の味が損なわれてしまいます。また、箸を変えるたびに輪島塗の手の込んだ加賀蒔絵の箸が、一つ一つの料理を引き立たせます。料理を盛り込む器ばかりでなく、口に運ぶための箸にまで気を配りました。
その精神が前田家饗応の基本だったのです。

 一般的な大名の食卓は、「七五三」の本膳式。古文書によると、公家化した室町幕府以来の武家故実にのっとった「七五三」の本膳式です。祝儀に使うめでたい数、一・三・五・七・九の中を取ったのが共通しているということです。そのめでたい数に基づいて、普段は本膳に七菜・二の膳に五菜、三の膳に三菜を備えた食膳でした。また、内輪での祝いの儀式の膳となると本膳から五の膳までのフルコースでした。

 しかし、饗応の場での膳となればたいそう大掛かりな食事になります。
「初献」「二献」「三献」・・・と続き「十三献」までの料理となり、饗応の場は一日中、または三日三晩かけて、心と贅を尽くしてもてなしたということです。

 さて、この大名の食卓に前田藩独自の作法がひとつあります。それは、五の膳までの膳の際に、三の膳と四の膳の途中に(三の膳での汁物と考えてもよい)、具のない味噌汁を出すというのです。その汁は「はしらかし汁」といい、

具のないシンプルな味噌汁。いただく際に、「お椀の中を箸が走っている。」ということで「はしらかし汁」と言われたということです。おそらく、ご馳走の間の「箸休め」、胃腸を休めるという意味があったのではないでしょうか。そういうところにも、健康に気を使った心憎い気配りが現れています。

 もちろん、饗応の膳でも、十三献ものお膳が出されるので、やはり同じように三の献と四の献の途中に「はしらかし汁」が出されています。三の献は七つものご膳で成り立ち、この辺で前半の芸能鑑賞などの内容は一幕終え、座敷の場所を変えて、気分新たに能や謡でおもてなしをしたもの思われます。今風に言えば、二次会で料亭を変えるということでしょうか。そのように、豪華絢爛・贅を尽くした饗応の場でありました。

 しかし、その内心は将軍家やその他の大名たちとの命がけの和睦の場であったのです。もてなし方・接待のしかたひとつで、加賀藩の運命がかかっていたのです。加賀藩は、百万石(百二十万石とも)の石高で外様大名の中では一番豊かな財政で、一番大きな藩です。今で言うならば、大会社中の大会社。しかしその分、徳川家から狙われやすい。徳川家にとっては、目の上のたんこぶ的存在です。些細なことで理由をつけられ、謀反の疑いをかけられてしまい、藩がお取り潰しとされてしまいます。たとえば、明智光秀が織田信長を饗応した際に、饗応料理の味付けが「京風」の薄味であったということで、信長のご機嫌を損ね、何かと因縁をつけられました。料理の味ひとつで、落ち度とみなされ大変なことになるのです。

 このように今風に言えば、饗応の接待の場は社運がかかった一世一代の接待。和睦をして、取引を繋げ、会社を守るということなのかもしれません。今も昔も同じこと、仕事とはいえ命がけの接待です。
饗応の秘訣は、相手が何を望んでいるか、何が好みか、そして相手の健康を願い、健康に気を配った料理でもてなしをすることが大切。痒いところに手が届くくらいの気配り心配りが肝心なのです。

 料理の盛り付け方にも作法があります。饗応料理の盛り付け方は、とにかく高く盛り付けるのです。
これを「高盛り」(たかもり)または「天盛り」と言います。

なぜ高く盛り付けるのか。それは、神へ供える「柱」として意味づけがされています。平安時代以降の貴族の儀式における料理の盛り方として、この形式が成立したとみなされています。

 また、加賀藩では料理の具に青菜がある場合、青菜は、「菜」と「名」をかけて、ほかの藩では「名をあげる」として最初に食べたのですが、加賀藩では「名を残す」として最後に食べたということです。こうした言葉に意味を求める行為、「言霊」(ことだま)を大切にした作法が多いのも加賀藩独特のものです。
鰹節は「勝男」。するめは「寿留女」。「四の膳」も「四」は「死」と同音だから、「与」の字を当てて「よ」と言いました。

 このように、武家の饗応おもてなしには、現在にも共通する作法やしきたり、心づくしが表現され、伝承されてきました。

陰陽五行色彩学とは

【陰陽五行色彩学とは】

「青・赤・黄・白・黒」の5色。
この5つの色は古代中国の「陰陽五行説」に由来しています。
陰陽五行説とは、万物は「陰・陽」の二気、「木・火・土・金・水」の五行で成りたっており、
これら陰陽五行の要素、「波動」で世の中は回っているという思想です。

「青・赤・黄・白・黒」の5色には「木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒」 の五色が割り当てられています。

この五行にはこの五色と、さらに方角を表す五方、季節を表す五時、人の徳目を表す五常(五徳)、 人の感覚器官を表す五官など、あらゆるものが配されています。

日本の歴史文化すべては、「宇宙の真理」で作られています。

高次元の宇宙からの周波数を日本人は受け取り、日本の文化、芸術、技術に取り入れて、万物全ての周波数を調整し、日本人の心の周波数を整えていました。

この周波数を整えるため、日本人は古くから「色」という感覚をとても大事にしてきました。

十二単・着物色・和食器にも色があるように、色というものにはそれぞれが持つ高次元よりいただいた力があります。

このように色の持つ周波数であなたが好きな色を選び、あなたの心のが放つ周波数でオーラの色が決まり、その2つを持ってあなたの「魂の色」ができあがるのです。

その「魂の色」と肉体の肌の色や体の特徴、顔の表情や形などを総合して、「運気向上色」が決まります。

人間関係においてもすべては周波数でできております。 その色の周波数の相性により、お互いの関係性が決まります。ご縁や運命的な出会いの引き寄せがあります。

自分の出す「魂の色」が変化すれば、周波数がかわります。 それにより引き寄せられてくるもの、相性も変化していくのです。

この講座の内容は、 陰陽五行思想を宇宙の真理として、わかりやすくお伝えしております。 浄化を目的に運命向上するための波動の調整、波動の修正をする為に力のある色を使い、 波動が上がるファッション、そして体の中なら「浄化・波動アップ」させる「食」についても、トータルで伝授していきます。

「宇宙の法則」に基づく壮大な学びになりますが、すべての人間関係からお仕事に至るまで、幅広く活用し飛躍頂く為の成功方法まで伝授させていただきます。

合わせて食医を取得されると、講座開講も可能となります。 ご自身の学びに掛け算で唯一無二の講座になられることでしょう。 日本人として持っていた能力・大切な教えを残し伝えるためにも、是非一緒に学びませんか。

食医 緋宮栞那 Kanna Himiya